谷崎潤一郎「春琴抄」
この間読んだ「細雪」が衝撃的に良すぎて、谷崎の波が自分の中に来ています。でも、「春琴抄」はあまりピンと来なかったような印象。
とはいえ、もちろん楽しませてもらいました。
- 作者: 谷崎潤一郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1951/02/02
- メディア: 文庫
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何かを失うことでさらに深い何かを得る、あるいは何かを削ぎ落とすことで深みに到達する、というようなモチーフは良くあることだけど、ここにはそういった美談を逆手に取った、倒錯的な(というとあまりに陳腐なクリーシェだけど)ものがある。
そこにはあくまでも、盲目である春琴の意固地なまでの自尊心があるだけであり、それを盲目的に信奉する佐吉がいるだけなのである。事件があろうがなかろうが、春琴は老いて行く限りいずれは佐吉は自らの目を潰したであろう。
結局は共依存に過ぎない、どこまでも閉ざされた二人の関係を淡々と綴るこの物語は、どこか箱庭を想起させる。それを外から眺める我々には触ることの出来ない世界であり、二人の触覚的な世界の追体験も結局は視覚的なものでとどまるしかなく、非常な距離感を読者に抱かせる。
競馬場デビュー
観戦ネタが連続です。
しかも時系列的には前後しているのだけど。
やっぱり、周りの環境が変わると、行くところも変わる、ということを痛感。野球観に行けないかわりに、まさか競馬場に行くことになるとは。でも、最近の府中競馬場はすごいんですね。(昔の事は知らないけれど。)
とりあえず、めちゃくちゃきれいで、子供連れが多い。そして、芝生の広場があったりアスレチックがあったり、レストランがあったり…等など。おっちゃんたちの怒号がただ響き渡るだけではありません。
とはいえ、勿論レース中、とくにゴール直前には毎度毎度丁寧に地鳴りのような怒号が、競馬場を揺らす。少し怖いくらいの大音響。ある意味ではサッカーとかよりもすごいのでは、と思ってしまう。自分もそこそこ馬券を買って,しっかり負けてしまったが、楽しみ方としては別に馬券を買う必要なない、というのが大きな感想。お馬さん達をパドックで愛で、さらにトラックでは走る姿をすぐ近くで見る。それだけで充分楽しめる、というかむしろ馬券を買わない方がしっかりお馬さんを見れるような気がする。
動物園とはまた違った形で、獣を見れるのは本当に新鮮。なかなか、馬が本気で走っているところなんか見れるものではないし、足音もやっぱりすごい。
ピクニック気分でまた行きたい、とは思うけど、夏場は無理ですね。
月のたまご
あぁ…全然更新が出来ません。
それもこれも、アルコールを摂取する機会が多すぎるせいでして。飲んだ後には書かないのは自分ルール。
なかなか守れない自分ルールですが、さすがにこれは守れそう。というか、書く気にも考える気にもなりません。
さておき、だいたい17時過ぎには会社から脱出できる日々なので、今日のように仕事帰りにお芝居を観に行く、とかもっとやるべきなのでしょうけど、それがなかなか飲み会が。
そんなこんなで青コロリ。
ストストンも、アラエッサも自分にはついていない上に、さざ波リングなんて望むべくもなく、ましてや三郎さんになれるわけでもない。どこかで自分で吐きまくるしかないか、それとも赤いドジョウを探しにいくか。なんとなく、そんなことを考えてしまった今日の帰り道。
昔読んだ本を思い出す事が多いのは、いい事なのか悪い事なのか。
- 作者: 福永令三,三木由記子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1986/01/10
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劔岳 点の記
久しぶりの映画。
明治40年を舞台にした、陸軍測量部が前人未到の剣岳を測量する、というストーリー。
内容はともかくとして、ほぼ全てを実際剣岳でロケをする事で撮影された、という事が売り物らしい。
勿論、CG全盛期(これからさらに加速するであろうけど)の今の映画の風潮に対抗したもの、という事でもあるのだろうけど…
「やっぱり本物は違う」という言説そのものに対して、疑問を抱くわけではないけれど、それならば本物とは何なのか、という事を考えざるを得ない。演劇から映画を画する要素が「モンタージュ」なのだとしたら、オール現場ロケなんていうものは、それへの逆行になるのでは、という感想をどうしても抱いてしまう。
ふと、子供の頃に見た「美女と野獣」のオープニングの森の景色が、写真だとずっと思っていた事を思い出してしまった。